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【ネタバレ】小説『天気の子』を読んだ感想と考察|やさしく語りかけてくるような作品だった

2019年7月18日

本日(2019年7月18日)発売された、小説『天気の子』を読んでみました。

明日(2019年7月19日)公開の映画『天気の子』の原作小説、って立ち位置になるらしい。

個人的な想いと記憶と重ねて、『天気の子』という作品を味わった感想とストーリーに関する考察を自由気ままに書き綴っていきます。

思いっきりネタバレあり。まだ本作を読まれていない方、もしくは観ていない方は、先に『天気の子』に触れてからお読みになることをおすすめします。

映画『天気の子』の感想・考察まとめの記事をアップしました。こちらでは、『君の名は。』の主要キャラ登場シーン『天気の子』の聖地小ネタや雑学、紀伊國屋書店新宿本店で開催されている『天気の子』特別展示についてもまとめています。

【ネタバレあり】映画『天気の子』の考察・聖地・小ネタまとめ|『君の名は。』との関連性は?

あらすじ・ストーリー

あらすじというより、冒頭から物語の終盤、結末までを1,000字以内でざっくりとまとめます。※個人の解釈が含まれます。思いっきりネタバレしてるので注意。

ストーリー・あらすじ(クリック or タップで表示)

島出身の家出少年・帆高(ほだか)は、船に乗って東京にやってくる。

仕事が見つからず、帆高は新宿の街に身を置きながら、漫画喫茶やマクドナルドを転々としていた(このとき帆高はひょんなことから拳銃を拾っている)。

身も心も疲れ切っていた帆高は、マクドナルドに入り浸りながら、船の中である一枚の名刺を渡されていたことを思い出す。

東京にやってくる船の上で危険になっていたところを、一人の男性に助けられていたのだ。それが、オカルト記事を専門に扱う会社の社長、須賀だった。

そんなことをぼんやり考えていると、ふいにマクドナルドの店員からビックマックをもらう。

転がり込むようにして須賀さんのところに行った帆高は、須賀の姪、夏美と出会う。帆高はそこで、オカルトライター兼雑用として須賀と夏美と共に働くことになる。

ある日、帆高は路地裏で一人の少女を助ける。それがあの日のマクドナルドの店員、陽菜(ひな)だった。

東京は数十年に一度の異常気象で雨続きだった。陽菜には天候を変える力があった。そのことを知った帆高は、陽菜と凪(陽菜の弟)と共に「晴れ女ビジネス」を始める。

とある花火大会に陽菜の姿が祈りを捧げている様子がテレビに写ったことがきっかけで、晴れ女ビジネスへの依頼が殺到した。そのことが原因となり、晴れ女ビジネスは打ち止めとなった。

夏美は、晴れ女ビジネスで出会ったある依頼主に、こんな話を聞いていた。

『天気の巫女は人柱である——』

つまり、陽菜は天気の巫女であり、やがて天に飲み込まれてしまう、と。夏美はそのことを、陽菜に告げる。実際、陽菜は雨から晴れにするごとに、身体が透明になりつつあった。

——警察が帆高を探していた。行方不明者届が出ていた。おまけに拳銃所持の罪も含まれていた。

須賀は誘拐犯の汚名を着せられそうになっている(須賀さんは帆高にクビ宣告をした)し、弟と二人暮らしをしていた陽菜にも問題が出てきていた。

帆高は、陽菜と凪と3人で逃げることにする。

東京の街の異常気象がよりひどくなっていた。空と陽菜が繋がっていた。

ある日、陽菜は帆高の目の前で姿を消してしまう。と同時に、凪と帆高も警察に保護されてしまう。

帆高は警察から逃げ、陽菜を探すことを決意する。

須賀、夏美、凪、いろいろな人の協力を経て、帆高は陽菜と再開する。陽菜は空の上にいた。帆高は、天気よりも陽菜を選んだ。

雨はそれから三年間止むことなく、今も振り続けている。

とまぁ、ざっくりまとめるとこんな感じのストーリーですね。

小説版の特徴としては、登場人物のそれぞれの視点で語られている点でしょうか。

それぞれのキャラクターの心境がよりわかりやすいと感じましたし、「読み手がどの登場人物の視点で物語を捉えるか?」という見方もできるので、感情移入もしやすいと思います。

小説『天気の子』の感想と考察

物語としては、人によっては「ハッピーエンドじゃない」という感想を抱いたりするのかなあ、と。俗に言う、セカイ系ってやつでしょうか。

まあ、事実、帆高は異常気象を止めることよりも陽菜を優先しましたし、「その他大勢」よりも「たった一人の人間」を選んだってことですから。

世界のため、人類のため、と主人公が自らの命をなげうつ作品とは、ここが決定的に違う点ですね。

結局、異常気象は収まらず、ひたすらに続く雨に伴う悪影響は計り知れません。

それでも——、それでも帆高は陽菜を選んだんです。陽菜のため、そして、他でもない自分のために。

単純に、「女の子は助かったよ。異常気象もなくなったよ」というハッピーエンドでもなければ、「女の子はいなくなっちゃった。でも、天気は回復したよ」みたいな話でもない。

見る人、読む人にとってはかなり大きく作品に対する感じ方が違うんじゃないかな、って思います。

曖昧さを肯定するメッセージ

正義と悪に分けたがるのが人間って生き物だと思うんですが、世の中ってグレーなことの方が多いんじゃないでしょうか。楽しい人がいれば、その裏で苦しい思いをしている人もいるわけで。

自分の立ち位置が変われば、物事に対する考え方なんて一瞬でひっくり返っちゃうわけですし、正しいこと、正しくないこと、なんてのは、あってないようなものなんじゃないんでしょうか。

なんというか、この『天気の子』という作品は、そういった世の中に溢れてるグレーな部分に、そっと「それでいいんじゃないかな」と呼びかけているようにも思えたんですよね。

どんな人にも自分だけの世界はあって、もしかしたら自分が気づかないだけで、自分を応援してくれる人、自分の世界を認めてくれる人がいるんだよ、って。

小説の最後、RADWIMPSの野田洋次郎さんの「解説」にこんな言葉があります。

すべての人が、皆自分だけの世界を持ち、その世界の中で必死に生きている。役割を持ち、何かしらの責任を負い、自分というたった一つの命を今日から明日へと日々運んでいく。(小説『天気の子』, p308)

これだけを見れば、「何を当たり前のことを……」と思ってしまいそうですが、当たり前だからこそ忘れがちなんですよね。きっと、とても大事なことなのに。

手を合わせて晴れることを祈ることもあるだろうし、反対に「このままずっと雨が続けばいいのに」なんて思ったりすることもあると思うんです。

それぐらい人間なんて生き物は自分勝手だし、わがままだし、でも、それって「自分の世界を守っていることに変わりないよな」とも思うんです。

雨が降れば傘を差す。それぐらい、自分の世界を守ることも当たり前なんじゃないかな、って。

僕自信が不完全であるのと同じように、大人たちもまた等しく不完全なのだ。皆がその不完全さを抱えたまま、ごつごつと時にぶつかりながら生きているのだ。(小説『天気の子』, p275)

拳銃の意味

物語には帆高が拳銃をぶっ放すシーンが出てきます。それは間違った方法なのかもしれないけれど、帆高は自分の守りたいものを守るために、引き金を引いた。

これが正しいことなのか、間違ったことなのか、それはわかりません。もちろん、人を傷つける行為はいけないことです。いくら大切なものを守るためとはいえ、他の誰かを傷つけていいわけじゃない。

僕が思うに、この拳銃の描写は、「言いたくても言えない、守りたくても守れない」そんな気持ちが、たくさん、たくさん詰まった「心の叫び」なんじゃないかと、そう思うんですよ。

世の中、好き勝手にものを言って、自由気ままに立ち回れるほど「できた世界じゃない」わけです。何をしても、何を言っても許されるのであれば、拳銃なんて必要ありません。

でも、現代の日本は見方によっては、相当不自由な場所だと思うんですよ。一見、インターネットは普及して、生活は便利になったけれど、その一方で「不自由」になった部分も確かにあるんじゃないかな、と。

仕事や家族の問題、悩み、お金、経済、政治、社会、とかとか。そういった鬱憤、鬱々とした感情、言葉では到底表しきれない気持ちが、あの「拳銃」っていうものに取って代わったのかもしれませんね。

ま、でも結局、拳銃なんて必要なかった。その気になれば、いつだって人は自分の世界を変えられる。そんなメッセージも込められているんじゃないかな、って思いました。はい。

皆、本当は分かっているくせに——と、走りながら僕は思う。
皆、なにかを踏みつけて生きているくせに。誰かの犠牲の上じゃないと生きられないくせに。陽菜さんと引き換えに青空を手に入れたくせに。
そしてそれは、僕も同じだ。(小説『天気の子』, p247)

外との繋がり

『天気の子』を読了したあと、なぜだか頭に「繋がり」という言葉がとても印象深く残ってたんですよね。

島から飛び出してきた帆高は船で須賀さんに助けられ、その繋がりで須賀さんのところで働き、夏美さんとも出会った。

新宿という街で身も心もボロボロになりながら、陽菜と出会い、晴れ女ビジネスでたくさんの人と出会った。天と陽菜も繋がっていた。

人間、一人で生きていくなんてことはできないわけだし、まあるい輪っかの中にいる以上、つまりこの世で生きている以上、繋がりを完全に断ち切ることはできません。

自分が生きている以上、どこかに悪い影響を及ぼしている可能性だってゼロじゃない。むしろ、この世界になんの影響も与えていない人間なんて一人だっていやしないんです。

事実、帆高も陽菜も、異常気象の原因を知っていてなお"生きること"を選んだ。

この『天気の子』は、なにも「曖昧さを全肯定して、君の好きに生きればいいじゃない」っていうことを伝えたいわけじゃないと思うんですよ。空想の世界に逃げ込んでもいいじゃん、みたいな無責任なものでもないと思うんです。

誰かが傷つくことを知って、自分の中に守りたいなにかがあるということを知って、弱さを知って、理不尽さを知って、それでもなお"自分のためになにかを選び取る"ことこそが大事なんじゃないかな、と。

須賀さんの言葉にこんなのがありました。

妄想なんかしてねえで、現実を見ろよ現実を。いいか、若い奴は勘違いしてるけど、自分の内側なんかだらだら眺めててもそこにはなんにもねえの。大事なことはぜんぶ外側にあるの。自分を見ねえで人を見ろよ。どんだけ自分が特別だと思ってんだよ。(小説『天気の子』, p284)

『自分を見ねえで人を見ろよ。』という言葉にも、人との繋がりに対する強いなにかを感じましたね。うーん、須賀さんかっこいいなぁ。

異常気象=災害=津波?

降り続ける雨、沈む街、異常気象。ふと、東日本大震災のことを思い出した。

もしかしたら、『天気の子』には、2011年のあの大災害によって起きた津波のことも含まれているのかもしれません。

もちろんそれだけじゃなくて、政治だったり、マスコミだったり、教育の現場だったり、なんというか、そういったものすべてに対して問題提起をしているんじゃないかなぁ、と。

『天気の子』の中で帆高が選びとった道はあくまで答えのひとつにしか過ぎなくて、本当は、もっと一人ひとりに違う答えがあっていいし、そのためには一人ひとりがきちんと問題と向き合って、自分なりに答えを導いていくしかないと思うんです。

なんていうか、僕は、そういう感想を抱きました。「こういう物語があったよ。君はどう思う? 君だったらどんな道を選ぶ?」っていう問題提起がなされているように、そう感じるんです。

これは別に新海誠作品に限った話ではなくて、物語全般、アニメや小説、映画に関して、同じことが言えるかもしれませんね。

オカルトに関しての考察

作中での帆高と須賀さんとのやり取り。

帆高「(中略)晴れ女とか雨女とかって、ぜんぶ『そんな気がする』っていう認知バイアスですよね? いるわけないじゃないですか!」
須賀「こっちはそんなのぜんぶ分かっててエンタメを提供してんの。そんで読者もぜんぶ分かってて読んでんの。社会の娯楽を舐めんじゃねえよ」
(小説『天気の子』, p49-50)

オカルトという非現実、幻のようなものに携わっていながらも、「人を見ろよ」と言う須賀さん。

きっと、本当か、本当じゃないか、なんてことはどうだっていいことなんですよ。それぞれが楽しみたいように楽しむ、それがオカルトだって僕は思います。

幽霊がいるかいないかの議論は、あくまで娯楽であって、互いを貶し合って、人格否定をしながら進めるものじゃない。

エンタメにおいて、それが嘘だろうが、真実だろうが、そんなのは二の次で、もっとも重要なのは「楽しめるか、楽しめないか」だけ。

いたらいいね、ぐらいのテンションでいいと思うんです。

きっと、自分もそうだと思う。なんだかんだ言って、自分が一番大切で、なんだかんだ自分の大切なものを守るためなら、他の人間がどうなろうとかまわないって思ってる。

たぶん、それは紛れもない事実。それぐらいは、認めたってバチは当たらないと思う。

感情は世界に影響を及ぼすか

お天気ビジネスの口コミレビューに文章に、以下のようなものがありました。

こんな話知ってるか? 人間の感情が乱数発生器に影響を与えるって話。
乱数発生器っていうのは、量子論に基づいて0と1をランダムに出力する機械でさ、どんな時も確率は1/2なわけだ。それがさ、大災害とか大イベントとか、大勢の人間の感情が大きく乱れるようなことがあると、その瞬間だけ確率がガラッと変わっちまうそうなんだ。実際にそういう現象が世界中で確認されていてさ。
それで思ったんだな。人間の願いとか祈りとかってのは、現実に世界を変える力があるんじゃないか。俺たちの脳みそは頭蓋骨の中で完結してるわけじゃなくて、なんらかの形で世界全体と繋がってるんじゃないか。スマホとクラウドが見えないのに繋がってるみたいにさ。(小説『天気の子』, p117)

これもオカルトといえばオカルトのような話で、まあ、実際、量子力学って分野では「人間の感情が世界に与える影響」についてマジメに研究されてます。

超常現象も時が経てば、それはいずれ本物にだってなりうるんです。ま、誰しも非日常は心のどこかで求めていて、それが作中の「オカルト」であったり、乱数発生器の話であったりすると思うんです。

現実を受け入れながら、どこかで大切に持ってる期待感や超常的なものに対する欲求を、物語を通して投影してる。そんな感じもしましたね。

『天気の子』と『君の名は。』との関連性

作中に帆高が陽菜に指輪を買うシーンが出てくるんですけど、そこにこんな描写がありました。

「がんばってくださいね」と最後に優しく微笑まれ、ネームプレートの「宮水」という文字を見ながら、僕は深く頭を下げた。(小説『天気の子』, p151)

まなき
えっ、これって『君の名は。』の三葉? それとも四葉?

『君の名は。』のヒロイン、三葉の名字も「宮水」でしたよね。宮水神社ってぐらいだし。

もしかしたら、映画では三葉(もしくは四葉)が出てくるのかもしれませんね。楽しみだぁ。

『天気の子』の聖地について

『天気の子』の聖地巡礼について。小説から抜き取った情報になります。

ほとんどは新宿の街、歌舞伎町周辺が舞台になってますね。

帆高が働くK&Aプランニング(須賀さんが社長)も新宿。帆高と陽菜が出会ったのも新宿。ですしね。池袋もちらっと出てきてました。

  • 田端:陽菜が住んでいる場所
  • 新宿(歌舞伎町):帆高が家出して「東京ならここだろ」と来た街
  • 新宿区山吹町:K&Aプランニングがある場所
  • 六本木ヒルズの屋上スカイデッキ:陽菜が花火大会のために「晴れ」を願ったところ

陽菜が天気を操る力を手に入れた場所のモデルとなったのは、「朝日稲荷神社」が一番有力(屋上に神社がある)だと言われてます。

作中では廃ビルってことになってますね。朝日稲荷神社は東京都中央区銀座3丁目にあるみたいです。

聖地に関しては劇場版と照らし合わせて、まだまだ調査が必要みたいですね。

小説『天気の子』はひらすらに優しい作品だった

僕にとって、「雨」は平和の象徴です。

傘を持たずに、雨に当たると、無意識に手を広げて雨を感じようとしますよね。世界中の皆がいっせいにあのポーズを取ったら平和になると思いませんか?

とまあ、それはさておき、『天気の子』を読んでしょっぱなに思ったのは、僕と共通点が多い作品だなぁ、ってことですね。

僕のハンドルネーム(あめぎ)で、僕自身「雨」には強い思い入れがあるし、物語の主人公・帆高はオカルトライターってことで、ブロガーである僕(オカルトブロガー)は無意識に自分と帆高を重ねてしまうのです。

新宿という街

僕は高校生の頃から「新宿」という街に頻繁に通っていて、それこそ歌舞伎町の地下ライブハウスで何年もバンド活動をしてましたし、専門学校時代も新宿の学校に通ってました。

なにも知らずに、傷つきながらも懸命に生きようとする帆高の姿と、過去の自分を勝手に重ねて「なつかしいなあ」と感傷に浸っていたり。

もしかしたら、新海誠作品はより多くの人が「自分と共通点が多い作品だなぁ」と感じられるようなものになっているのかもしれません。確証はないですが、ふとそんな気がしました。

まとめ

劇場版に関しても、人によって抱く感想にかなり差が出てくる作品だろうな、と予想してます。

新海誠監督自身、「より批判される作品を作らなくちゃいけない(『君の名は。』の批判を受けて)」と公言してますしね。

より叱られる映画を作らなければいけないんじゃないか。
きっと自分自身に作家性のようなものがある、描きたいものがあるんだとしたら、その中にこそあるはずじゃないかと思いましたし。
あるいはもっと叱られる映画を作ることで、自分が見えなかった風景が見えるじゃないかという気もしたんですよね。(「君の名は。」から「天気の子」へ 新海誠監督の格闘 “称賛” “批判”を受けとめて

まあ、思いっきりおおざっぱに感想をまとめると、「とてもやさしい作品だったなぁ」って思います。

厳しくも、そっと寄り添って、「それでいいんだよ」と語りかけてくれているような、そんなやさしい物語でした。

あめぎ
僕にとって新宿は思い出深い街。劇場版『天気の子』も新宿で観ます
映画『天気の子』の感想・考察まとめの記事をアップしました。こちらでは、『君の名は。』の主要キャラ登場シーン『天気の子』の聖地小ネタや雑学、紀伊國屋書店新宿本店で開催されている『天気の子』特別展示についてもまとめています。

【ネタバレあり】映画『天気の子』の考察・聖地・小ネタまとめ|『君の名は。』との関連性は?

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