映画『空の青さを見る人よ』を観てきました。ああ、なんていうか、語りたい気分ですね。無性に。
バンドで天下取れなかった僕が、映画『空の青さを見る人よ』の感想と考察を淡々と語っていきます。
注意事項
ここからネタバレが続出しますので、まだ作品をご覧になっていない方はご注意ください。
地元っていう監獄
ネタバレなしのほうの感想でも言ったんですけど、やっぱり『空青』のテーマって「閉塞感」にあると思うんですよ。
僕もめんまとか、じんたんとかと地元めっちゃ近いんでわかるんですけど、西武秩父ってこう「独特の閉塞感」みたいなものがあるんです。
『たしかにここは田舎といえば田舎だし、かといってそこまで東京が遠いってわけでもない、なのに東京は遠いんだよ……』みたいな、そういう独特の感じ。
作中であおいも言ってましたよね。『あたし達は、巨大な牢獄に収容されてんの』って。
これは別に西武秩父っていう土地だけに限らず、学生時代の地元なんてそんなもんだと思います。
僕自身、大人になってからは地元に対して閉塞感なんて覚えませんけど、高校生時代は不自由感じちゃってましたしね。
あおいが上京したかったワケ
あおいが上京を志したワケって、単に『バンドで天下取るから』だけじゃなかったですよね。
本当は自分の姉・あかねが、幼い頃亡くなった両親の代わりをずっとしてくれてたからこそ、自分が上京して、姉を自由にしてあげたいと思っていた。
でも、それをきちんと理解したのは、"しんの"のことがあってからだったはずです。
"しんの"はなぜお堂から出られないのか
あおいと正嗣は、しんののことを生霊だとか、地縛霊だとか言ってましたが、しんの自身はこう言ってましたね。
『ほんとは俺、どっかでここから出てくの、怖がってんのかもなって』
金室慎之介は、そのまま東京に出ていってしまったのかもしれないけれど、しんのはここで、このお堂から出られないでいる。
それはあかねに東京行きを断られたからだけじゃなくて、単純に「怖い」っていう感情をお堂に閉じ込めた、とも推察できます。
きっとしんのもあおいと同様、地元に閉塞感を抱いていて、東京に夢を描いて、それでも出ていくのが怖くて。
そういう強い思いが"しんの"って存在を生み出したんでしょうね、きっと。
なぜしんのは"13年後の今"になって現れたのか?
お堂に「あかねスペシャル」とともにずっと閉じ込めていたはずの思いが、新渡戸団吉の凱旋公演によって蘇ったんだと思います。
しんのは、東京でビッグになってあかねを迎えに来るつもりで地元を旅立ちましたよね。
それから13年が経って、まだまだ自分の目標としてるところにはたどり着けていなくて、それでも地元に戻ってくることになってしまった。
それも、大物演歌歌手「新渡戸団吉」のバックバンドとして。
慎之介自身は『新渡戸さんには感謝してる』『音楽に携われてるだけで御の字だ』って言ってますけど、きっと悔しさは感じてると思います。
その悔しさとか、納得のいっていない感じとかは慎之介の『俺だって、来たかなかったんだよ』ってセリフにこめられてるんじゃないでしょうか。
まあ、『13年もあかね待たせといてなんなんだよ!!!!』って感じなんですが、男ってそういう生き物なんですよ、悲しいことにね。不器用なんです。
好きな女でも平気で13年待たせちゃう阿呆が割といるもんなんですよ、男って。
あかねは自分で自分の道を決めた
市役所の渡り廊下で、あかねと正道が会話をするシーンありましたよね。
あかねが『わたしだってひとりの人間なんだよ。誰かに振り回されたことなんてない』というような趣旨のセリフを言ったところ。
あかねにとっての「空の青さ」は妹のあおいだったんです。しんのにとってのあかねがそうだったように。
あおいは『自分のせいであかねは自由になれない』と思っていたけれど、あかね自身はそんなことこれっぽっちも思ってなかった。
ほら、「あおい攻略ノート」あったじゃないですか。あおいがムヒ探してるときに見つけた、料理のレシピとか、洗濯の方法とか書かれてるノート。
幼い頃に両親をなくして、きっといろいろ大変な思いしてきたのに、それでも辛い顔ひとつ見せず、しんのとの約束を破ってまで、あおいを優先した。
きっと、そのことは変わらないんです。それでも、あかねはそれを「自分自身が納得して下した決断だ」と言ってるようにも思えるんですよね。
これこそがもしかしたら「愛」ってやつで、「空の青さ」ってやつなんじゃないかって思うんですよ。
『空青』は登場人物の視点によって見方が変わる作品
正直、僕はあまり『空青』のストーリーに関して、あんまりぐっと来なかったんですよね。
ちょっともったいないなあ、あんまり感情移入できなかったなあ、って。
でも、それはきっと、それぞれの登場人物の思いとか、バックストーリーに深みがありすぎて、映画で表現しきれなかったのかも、って思ったんです。
主人公はあくまであおいですが、しんのだって、慎之助だって、あかねだって、それぞれにそれぞれの思いとストーリーがあるわけですよ。
それを時間制限のある映画にぜんぶ突っ込もうとしたってそれは無理な話で、じゃあ小説はどうかって思ったら、小説のほうもそんな感じで。
で、僕は思ったわけです。『ああ、これは仕様か』と。
逆に言うと、それぞれの登場人物のストーリーに「余白」が残ってるわけです。
その余白分だけ、観た人が感じる「余地」が生まれるんですよ。
つまり、「どの登場人物の目線で『空青』を観るかで見方が変わってくる作品」ってことなんじゃないでしょうか。
感情移入できるポイントはどこだろう?
僕は元バンドマンでベーシストで、高校時代から7年もバンド活動をして、結局夢を諦めて旅に出たタチなので、慎之助に近い立場なんでしょうかね。
だから、慎之助の気持ちもわかるし、しんのの気持ちもわかるし、あおいのやるせなさとか、言葉にできないもやもやとかもわかるし。
13年も想い人を待ち続けて今も独身の31歳のあかねの気持ちはわからないけれど、想像はできるし。
「感情移入できる登場人物が多いからこそ、観客としてどこに気持ちの焦点を合わせればいいか迷った。だからこそ、あんまり感情移入ができなかった」
ってことなんだと思いますね。
『空青』の完成度はなかなか高いんじゃないだろうか
あんまり感情移入できなかった、って言ったんですけど、作品としては完成度かなり高いんじゃないかな、って思いました。
声優陣は『あれ、この人たちの本業って声優かな?』って思っちゃうほど、違和感なくて、上手でしたし。
クライマックスでびゅーんと飛ぶところは「なんで?」と思いましたが、あいみょんの主題歌の絶妙な入りタイミングと、音楽の魅力とアニメーションの力強さで、ひたすら圧倒されちゃいましたし。
小説を読んで展開はおおよそわかっているはずなのに、それなのに、なんだかあったかい気持ちになって、自然と涙が流れてきちゃいましたし。
きっとこれも「アニメーション映画」だからなせる技なんでしょうね。素晴らしい作品でした。

高校生の自分に会ったら何て言われるだろう?
今の僕にとって、しんのやあおいはちょうど10年前の自分と同い年です。
『空青』をみてから、ぼんやりと『10年前の自分が今の自分をみたらなんて言うんだろうなあ』なんて考えたりしてます。
『音楽で飯食ってくぞ!』って意気込んでた高校生の自分。心のどっかで『自分ならやれる』って思ってたあの頃の自分。
作中で慎之助も言ってたけど、ほんと音楽業界はコネと運がすべてみたいなところで、そういうちょっと暗い部分をみた途端に気持ちが冷めちゃったりして。
今までの人生にまったく後悔はない、なんて言ったら嘘になりますが、今までの人生に意味を見出すことって今の自分にしかできないビックな仕事なんですよね。
それを『空青』は思い出させてくれた気がしますよ。
「空の青さ」はいつでも、どこでも、思い出せる
「空の青さ」って別に想い人とか、大切な誰かとかだけに限った話じゃないと思ってます。
それは人だったり、場所だったり、気持ちだったり、想いだったり、大切な何かだったり、はたまたそのぜんぶだったり、するんだと思います。
『井の中の蛙大海を知らず されど青空を知る』って言葉はきっと、「どこにいたって、何をしてたって、『空の青さ』を知ってる君なら大丈夫」って意味なんだと思います。
だから、昔の自分に笑われないように生きていくべきなんだと思いますし、今どこか辛かったり、悔しかったり、うまく行かないときは、昔の自分に立ち返って『あの頃はこうだったよなあ』って思い出すことも大事なんだと思うんです。
『空青』は、そういう「自分がもしかしたらまっすぐ進めていないとき」に『そっちじゃないよ』って優しく教えてくれるような、そんな作品なんじゃないでしょうか。
「『空青』は大人にこそみてほしい作品」でも語ってるんですけど、これ、あの頃の自分を思い出したい大人こそみるべき作品なんだと思いますね。こっちの記事でも、『空青』に関して熱く語ってるのでよろしければどうぞ。
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【ネタバレなし感想】映画『空の青さを知る人よ』は大人にこそ観てほしい作品だった
小説版のネタバレはこっち。映画とはちがう表現や演出があるので、小説版も読んでみるといいですよ〜。
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【感想・レビュー】小説『空の青さを知る人よ』を読んで考える「空の青さ」とは

