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自称インフルエンサー「AIヤバいぞ!乗り遅れるな!」←これ

自称インフルエンサー「AIヤバいぞ!乗り遅れるな!」←これ

AIが社会や生活において変化をもたらすことは間違いありません。

特に最近のAIの発展はまさに日進月歩で、毎日のように革新的な新しい技術が生み出されています。

しかし、TwitterやYouTubeに蔓延っている「自称インフルエンサー」には気を付けた方が良い。

あいつら、煽りの天才やぞ。

Botと化した自称インフルエンサー芸人

僕は過去に自称インフルエンサーとして活動していた時期があるので良く分かるのですが、流行に乗っかった情報を発信するとそれはもう面白いように数字が伸びるのです。

数字が伸びるということは、自身の影響力の拡大や権威性の向上、金銭的な利益の享受に繋がります。

インフルエンサーの中には本当にAI技術の発展に可能性を感じ、信念に基づき、熱意を持って活動している人もいるでしょう。

ただ、先ほども申し上げた通り、今はAIに関する新しいニュースが毎日のように入ってきている状態です。

そうなると、彼らはさらに数字を稼ぐために、それらの情報を網羅的に取り上げる必要が出てきます。

つまり、Bot化します。

ただの「AIに特化したニュースボット」であればまだ良いのですが、彼らはそれに加えてノイズを盛り込んでくるから余計に始末が悪いのです。

不安商法とノイズの多い情報摂取

「これは革命だ!」「AIの波に乗り遅れるな!」「ヤバい革新的なツールが発表されたぞ!」

あの手この手で人々の不安を煽り、新しい情報を常に仕入れていないと時代に取り残されてしまうような錯覚を起こさせる。

いや、そんなことねーから。

念のために言っておきますが、僕は彼ら自称インフルエンサーのことを敵視しているわけではありませんし、一生懸命に新しい情報を追い求めている人達を馬鹿にするつもりは毛頭ありません。

しかし、ノイズばかりの情報をいくら摂取したところで大した栄養にはならないのです。そればかりか、むしろマイナス面の方が大きい。

質の悪い情報はボディブローのように効いてくる

情報は食事と違って、食べすぎてもすぐに調子が悪くなったりはしません。

──が、質が悪い情報は、確実に脳へダメージを与えます。蓄積されたダメージはボディブローのように効いていき、時間経過とともに顕在化します。

新しい情報は大変美味である、常に最新のニュースを知っていなくてはいけない、影響力を持つことは素晴らしいことだ──。

確かに、誰にでも知的欲求や好奇心はある。誰かに認められたい、褒められたいという承認欲求があることも理解できる。

それでも、それらをこじらせすぎてしまうと、Twitterでクソどうでもいい情報を取り上げるだけの自称インフルエンサー芸人Botと化したり、TikTokでおよそ人間とは思えない形状をしたバービー人形に成り果ててしまったり、NewsPicksのコメント欄に評論家気取りでどこかで聞いたようなもっともらしいことを書き並べてにっこりしてしまったりしまうのです。

無意識のうちに発露される差別や偏見ほど醜悪なものはない。

それ、本当に必要な情報ですか?

話を戻しましょう。

AIは間違いなく革新的な技術であり、将来的には人々の仕事のタスクのほとんどを代替することは疑いようもない事実です。

とはいえ、インフルエンサーBotが毎日のように取り上げている情報を網羅しなければならないかというと決してそんなことはない。

皆が使っているから使わなければならないという決まりもなければ、全ての機能を使いこなさないと損をするわけでもないのです。

ChatGPTで遊んだり、AutoGPTの導入をしたりして今のうちからAIに触れておくのも必要なことなのかもしれません。

しかし、冷静に考えて、ほとんどの人にとってそれはまだ背伸びをしてまでしなくていいことなんですよね。

放っておいてもAIは身近な存在になる

AIに対して何をして欲しいのかをテキストやコマンドで伝えることを「プロンプト」別名「呪文」と呼びますが、最近はプロンプトを上手に書ける人が重宝される傾向にあります。

ただ、これもよくよく考えてみればどうでもいいことで、プロンプトはやがて完全に自然言語──つまり、日常生活で使っている言葉に置き換えられます。

専門的な知識を持つエンジニアが使うような難解な言語ではなく、人が生活する上で当たり前に使っているような言葉がそのままプロンプトとなることは自明の理。

ともなれば、本当に必要なのは「問いを正しくたてられる能力」であったり、「頭の中にある考えを言語化する能力」であったりするわけなんですよね。

つまり、結局、何が言いたいのかというと、どうせ放っておいてもAI技術は発展していくし、その恩恵は全ての人が平等に受けられるようになっていくし、ほとんどのスキルはコモディティ化するということ。

今やるべきことは、Botと化しているインフルエンサーが垂らしている糸に喰い付くことではなく、ましてやTwitterやInstagramなどのSNSで流行に乗った情報を発信してその場しのぎの承認欲求を満たすことでもなく、日々のニュースを見たり聞いたりしてどうでもいいことにブチギレたりすることでも断じてないのです。

人によってそれらの行動が心の支えになっているかもしれないという可能性は否定できないものの、きっと本当に自分が望んでいるのはそんなことじゃない。もっと本質的で、自分という人間を形成している何かへの根本的な対策であるはず。むしろ、そうであって欲しい。

数字で動く情報に多様性はあるか?

数字が取れるということは需要があるということであり、人々が求めていることなのかもしれません。

けれどもそれは、流動的で、海を漂う生き物のようで、実態の掴めない何かにすぎないのです。

インターネットはよく大きな海に喩えられることが多いですが、人目につくのは決まって大きな生物であり、時代の流行です。

厄介なのは、目につくからといってそれが重要であるとは限らないし、社会や世界にとって真に解決すべき問題であるかも検討の余地があるということ。

つまり、一見多様な生物が蠢いているようではあるが、実際に僕らが可視化できているのは一部の大きな生物でしかない、と。

「多様性」という言葉が使われる一方で、数字やデータが重視されるメディアや企業、そしてSNSの世界では、本当の意味での「多様性」は存在し得ないのではないかというのが僕の考えです。

言い換えるならば、この状況を打破できない限り、本当の問題にコミットするインセンティブは生まれないということですね。

まあ、結論、ニュースとSNSを見るのをやめて、読書やらなんやらで言語力を磨きつつ、自分の頭で考える癖を今のうちから身に付けておいたほうが良さそうだよなぁ、という話でした。

AIによって能力やスキルが平均化された未来においては、やっぱり独自の経験や価値観、人生の軸があった上で、それらの思考を言語化できる能力が非常に重要になるのではないかなと思います。

そう、我々に必要なのは『偏愛』なのだ。

何かを極めたいときは自分だけの「好き」を極める→人生の幸福度がアガる

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  • この記事を書いた人

あめぎ

30歳|生きづらい人がゆるく生きるための情報をブログで発信|15年間もの宗教による束縛→いじめ→歌舞伎町バンドマン→2年でブログ収益50万円達成→自転車日本一周の途中でセブ島留学→海外起業→アメリカ大陸横断→富士山登頂→PTSDとうつ病の療養中

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