先日、1年前にお別れした元彼女さんが亡くなったようです。未だに信じられません。
まだ友人伝いで聞いただけなので、なんというか、実感が湧きません。
正直、このことをブログに書くべきなのか迷いました。それも、元恋人と書くのもちょっとどうなのか、と。
でも、僕は書くことでしかいまの気持ちを表現することができないし、受け入れられそうもない。
彼女は『僕という人間を知り、僕という人間がこのブログを書いていること』を唯一知っているただひとりの人間でした。
以前書いた匿名ブロガーが身バレするとこんな気持ちになるよで、僕の素性がバレた張本人です。ここでは仮にMとします。
ちょっと気持ちを整理する意味でも文章にすることにします。
直筆のサイン入りCDは、もう——
Mとは1年半ほどお付き合いさせて頂いていて、お互い嫌いになったというよりかは歯車が合わなくなってしまって別れたという感じ。結局は僕のほうから別れを告げる形になったのですが。
それから1年ほどは連絡はほとんど取っていませんでしたし、会うこともなかったです。
今年に入ってからちょくちょく連絡を取り合うようになり、少しずつ友人の関係に戻って行きました。復縁するというわけではなく、ただ、お互いをよく知る友人として。
Mは歌うことが好きな女の子でした。
最近では自作した歌をLINEなんかで送ってくれたりして、「今度サイン入りのCDを売ってあげるよw」なんて話してたっけか。そのCDを発売したイベントもつい先月末の出来事。
僕は用事があってそこには行けなかったんですよね。
11月に3マンイベントも企画していたようで、そこには顔を出すつもりでした。でも、それはもう叶わないんだなあ、と。
ステージで歌うMの姿は一生見れないんだなあ、と。
思えばいままで一度も見たことがありませんでしたね。悔しいなあ。
死を受け入れられないということ
僕は6年前にも大切な友人を失ってます。
当時、僕は18〜19歳ぐらいで、亡くなった彼は22歳だか23歳だか。ちょうどいまの僕の年齢ぐらい。
そのときもまったくその友人の死を受け入れられなくて。4年ぐらい墓参りにさえ行きませんでした。
受け入れるのにめちゃくちゃ時間がかかるんですよね。で、不思議と悲しい気持ちが遅れてくる、というか。
悲しい。たしかに悲しいんですが、そこまで絶望的に悲しくはないんですよ。
彼の葬式でも涙が出なくて、横たわる友人のきれいな顔を見てやっと少し実感が湧いたかな、という感じ。薄情なのか、なんなのか。
きっと死を受け入れられない、ってこういうことなんだろうなぁ、と。その存在が自分に近ければ近いほどそうなのかなぁ、と。
でも、きっとこれはどうしようもない現実なんです。心のどこかでもうそれは分かってる。
『あぁ、もうMはこの世にいないんだな』となんとなく感じる。
Mとはちょくちょく連絡を取っていて、いまでもLINEのトーク画面にはMとのトーク履歴が残ってます。昨日、メッセージを送ってみたけど一向に既読はつかない。
正直、いまでも『嘘だろ?』って思ってます。もしかしたら、いまもどこかで生きてるんじゃないか、って。たまたまスマホの調子が悪くて、体の調子も悪くて、だれにも連絡が取れないだけなんじゃないかって。
発覚までの流れはこう。
Mと仲の良い女の子が一向にLINEの既読がつかないことを不審に思って、Mが働く居酒屋の店長に連絡。その店長だか、いまの彼氏だかがMの家を訪れる。
すると、もう家の周りにはたくさんのパトカーとMの親父さんが——、という感じだったらしいです。
Mはひとりでなんでも抱え込んでいっぱいいっぱいになっちゃうタイプ。
きっと、いまの彼氏にも、仲の良い友達にも言えなかったのかもしれない。相談していたとしてもどうにもならなかったのかもしれない。
家庭の事情が複雑で、いろいろな問題を抱える女の子だったM。最近では鬱になってしまったとも言ってました。
Twitterでも、ブログでも、その変化はきっとあった。心の声を、直接的ではないにしろ一生懸命叫んでたんだと思います。
気づけなかった自分の無力さを責めることは簡単。気づいていたとしてもどうすることもできなかった自分の無力さを責めることは簡単。
でも、Mはきっと『そうじゃねえだろ』って怒る。
僕の命の恩人
いまから2〜3年前、僕は人生のどん底を味わっていました。どん底。
川で寝そべり、アホみたいな量の酒を飲み、気がついたら首元まで川の水に浸かっていました。
まぁ、オブラートに包んで言っちゃえば自殺未遂ってやつです。
自分も周りに心のさらけ出せずにひとりで抱え込んでしまうタイプなので、いつの間にか大きなストレスを抱え込んでいたようなんですよね。
そのときに僕の命を救ってくれたのがMでした。
これまでの僕の言動や行動から異変を感じ取っていたMは、しつこいぐらいに連絡をしてきました。「もういいよ」と言っているにもかかわらず電話をかけてくる。
これにはもう自分の心をさらけ出すしかないな、と。
Mの電話に出て、水に浸かりながら大号泣。大人の男が川に入りながらワンワン泣いて電話をしている光景はとてもシュールに見えたはず。
ともかく、そこで自分の気持ちをすべて吐き出し、『あぁ、僕はなにをやっているんだろう』と踏みとどまることができたわけです。
Mは僕の命の恩人だった。
次に会うときは
たぶん。
乗り越えるのには時間がかかる。きっと、かなりの時間がかかる。
そして、この悲しみは一生背負っていかなくてはならない。
それでも僕らは生きなきゃいけない。息をして、前に進んでいかなきゃならない。
うまく言えませんが。
まだ気持ちの整理さえ、なにが起きたかの把握さえできていませんが。
それでも『いま、僕は幸せだぞ』と友人たちに見せていくべきなんだと思う。
専門学校時代の友人のKも、僕についてきてうちの猫になったIも、そして、僕の命を救ってくれたMも。
みんなの分も生きる、だなんてそんな話じゃない。
ただ、僕たちは幸せに生きていくべき理由があって、使命があって、夢がある。
ぶっちゃけると、いまは『前に進もうよ』だなんて言えたもんじゃないです。
自分にだって、だれかにだって言えない。言えるわけがない。
黙って隣にいて、その子がいなくなってしまったんだってことを一緒にゆっくりと受け入れていくしかない。これには近道も、裏技も、忘れる技術なんてものもない。
僕は無宗教で、復活とか、生まれ変わりとか、輪廻転生とかの類はわかりません。
でも、できるなら、もう一度、大切な人たちと笑って話したい。
この宇宙のどこを探しても、死んでしまった人たちは見つからない。
人の記憶に思い出として残るだけ。残るだけだけど、その想いは一生消えない。
いま思うことは、大切な人は大切にすべきで、一緒にいたい人とは一緒にいるべきなんだってこと。
そして、好きな人には好きとちゃんと伝えること。会いたい人にはすぐ会いに行くこと。これに尽きる。
次に会うときはお互い笑って話せりゃいいな、と心から、そう思う。