小学1年生のときの僕は、俗にいう「学年で一番足が遅いやつ」でした。
非力で、頭も悪くて、背も低い。背の順で並ぶと、いつも一番前。みんなは手をまっすぐ前に伸ばしてるのに、僕だけは腰に手を当ててたわけ。
年に一度行われる持久走大会では、太ったやつにも負けて100人ほどの男子の中でビリ。ワースト1位ですよ、まったく。
これは、「学年一足が遅いやつ」の鈍足亀野郎が「学年一足が速いやつ」になるまでの物語です。
学年一足が遅いやつ
あなたのクラスにもいませんでした? 足が遅いやつ。
僕は決して運動神経が悪かったわけじゃないと思うんですが、足の速さは壊滅的にダメダメでした。
ほら、「ケイサツ」と「ドロボウ」に分かれて走り回る遊びがあるじゃないですか。あれ、僕苦手だったんです。
だって、僕がチームに入ると『えーっ、お前いんのかよー。こりゃ負けたなー』とか言われるんですよ?
そ ん な の 僕 が 一 番 よ く 知 っ て る 。
人生に転機が訪れる
身長が1年で30cm以上伸びた
うちはかなり早熟な家系です。そこに生まれた僕も例外じゃなかったんですよね。
小学3年生頃から急激に体の成長がはじまったんです。だいたい1年で30cmぐらい伸びたかな。
成長痛に悩まされ、体のあちこちは痛み、膝は見事にオスグッド・シュラッター病になってました。
オスグッド・シュラッター病
オスグッド・シュラッター病(オスグッド・シュラッターびょう、英: Osgood-Schlatter disease、独: Osgood-Schlatter-Krankheit)は、サッカーやバスケットボールなどのスポーツをする小学生、中学生や高校生に多く見られる、膝の脛骨が出っ張って痛むという骨軟骨炎[1]である。オスグッド・シュラッター症候群(オスグッド・シュラッターしょうこうぐん)ともいう。
筋肉がつき始めて足も速くなっていった
亀並みに足が遅かった僕。でも、身長が伸びるにつれて筋肉も徐々につき始めていきました。
いつの間にか、背の順で並んだときも、うしろから3番目あたりの位置にまで上り詰めていたんです。
もちろん、だんだん足も速くなっていってて、この頃から「速く走ること」が好きだと思いはじめるようになりました。
暇があれば近所を走り回って、怪我ばかりしてたっけかなぁ。
速く走るための特訓を受ける
月日は経ち、小学5年生になった僕。さすがに亀みたいな足の遅さはなくなりましたけど、まだまだ中の中ぐらいです。
『もっと速く走りたい。もっと風を感じたい』
いつの間にか「速く走ること」に熱中してしまっていた僕は、さらなるスピードを求めて「師匠」を頼ることにしました。
当時、高校生だった「師匠」
当時、高校生だった僕の知り合いに「速く走るための特訓をしてくれ!」と頼み込んだんです。
そうして「師匠」と「ちがう学校に通う僕の友達Kくん」と一緒に、速く走るための激しい特訓を開始したわけですね。
「Kくん」はその学校で「一番足の速いやつ」で、さらにタイムを縮めようとこの特訓に参加しようと思ったんだとか。まぁ、僕が誘ったんですけど。
僕の足の速さは、学年で中間あたりぐらいまでパワーアップしてました。
ほかの人よりも、比較的早く成長期に突入していたことが影響してたんじゃないかな、って思います。
速く走るための特訓について
「師匠」は、本気で「速く走るための方法」を教えてくれました。僕たちが小学生であるにもかかわらず、です。
そのときの特訓メニューは以下の通り。
[aside type="boader"]- 腹筋
- 一日中つま先立ち
- 兎跳び
- 坂道ダッシュ
- フォームの修正
- 重りをつけての生活
とにかく上半身を鍛えろ!
とにかく、上半身を鍛えることを教えられましたね。
来る日も来る日も腹筋。特訓をはじめてから、ほとんど毎日が筋肉痛との闘いでした。
いつでも、どこでも、つま先立ち!
あとはつま先立ち。これが一番キツかったです。
授業中も、階段を上るときも、風呂に入ってるときも、学校から帰るときも、常に「つま先立ち」。どんなときでも、どんな場所でも、かかとを浮かせて行動してました。
はじめのうちはすぐに足をつってしまい、筋肉の痙攣が止まらなかったですね。でも、これも2週間ほどでだいぶ慣れました。
吐くまでやれ!坂道ダッシュとうさぎ跳び!
あと、坂道ダッシュとうさぎ跳び。どちらも坂を使ったトレーニングです。
50mほどの坂道を全力ダッシュ。これを吐くまでやらされました。
信じられますか? 飲んだ水がまるで噴水のように宙を舞うんですよ? 小学生のときにやるとは思えない過酷なトレーニングでした。
うさぎ跳びも同様。あれ、めっちゃ膝に響くんですわ。なんせ僕、オスグッドですし。
トレーニングの方法をある程度学んで、あとはひたすら自主トレ。近所の坂を使って、日が暮れるまでひたすら走ってましたね。
タイム計測の結果は?
1ヶ月に一度、「師匠」に会ってタイム計測をしてもらってました。もちろんKくんも一緒です。
小学6年生になる頃には、トレーニングのおかげもあってか、Kくんと同じぐらい足が速くなってたんです。
「学年一足が速いやつ」の称号を手に入れた
そうして——。
僕はついに「学年一足が速いやつ」の称号を得たわけです。
たしか、当時の50m走の記録は6秒後半あたりでしたね。校長先生に褒められたことを覚えてます。
地区の400mリレー選手に大抜擢
50m走での結果が評価され、地区の400mリレーの選手にも選ばれました。
「一番足が速いやつが走るのは2番手だ!」ということで、僕はそのポジションだったわけです。
何校もの学校が一同に集まったリレー会場。『足の速いやつらと走れる』。それだけで僕は緊張やら興奮やらで落ち着かつきませんでした。
おそらく、僕たちのチームは優勝候補。いつも通りの実力が発揮できれば、優勝トロフィーを手にするのは間違いなし。
人生そんなに甘くない
でもね。人生そんなに甘くないんですよね。
1番選手の時点ではぶっちぎりの1位だったんです。もう『優勝は間違いない』って思ってました。
すぐに僕の順番は回ってきました。「一番足が速いやつ」が担う、400mリレー2番手。僕の出番です。
『よし、バトンの受け取りも問題ない……! イケるぞ……!』
——が、しかし。
『おーっとぉぉぉ!! 優勝候補の学校の2番手がまさかの転倒だぁーーーっ!!』
そう。僕はやっちまったんです。よりにもよって、この場面でやっちまった。
前傾姿勢を取りすぎるあまり、バランスを崩し、顔面から盛大に転倒しました。
リレーのバトンは3mほどぶっ飛び、それを取りに行こうとするも、うしろから走ってくる選手たちが邪魔でなかなか進めない。大幅な時間ロスです。
ここで勝負は決まりました。
ビリです。
僕は、ふたたび「ビリ」に舞い戻ってしまったんです。言わずもがなトラウマの記憶です。
転倒したときの周りの「あぁーっ……」という落胆の声はいまでもはっきり覚えてます。
\( 'ω')/ウオオオオオオアアアアーーーーッッッ!!!!
\( 'ω')/ウッ、ウオオオオオオアアアアーーーーッッッ!!!!
さらなる追い討ち
「転倒」のトラウマを背負いながらも、僕は本気でオリンピック短距離選手を夢見てました。
なによりも走ることが好きで、だれにも負ける気がしなかったんです。
でも、そんなときに事件は起きた。
骨折したお
中学に入学してから1週間目で足を骨折しました。
原因は「足で廊下を雑巾掛けしていたせい」です。バカでしょ? 自分でもそう思います。
[aside type="boader"] スネの骨って「脛骨」と「腓骨」の2本でできてるんですが、これが両方ともポッキリと折れてたんですね。お医者さんも「こんなにキレイに折れてるのは珍しい」って言ってました。「雑巾がけで骨を折った、というのも初めて聞いた」と、かなり驚いている様子でした。
それもそのはず、怪我の原因をだれに話しても信じてもらえないばかりか、本人が一番信じられないわけですから。
[/aside]
この出来事がきっかけとなり、僕は「走ること」から少しずつ離れていってしまったわけです。
悲しいことに「学年一足が速いやつ」の時代は長くは続きませんでした。
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まとめ
以上、「学年一足が遅いやつ」が「学年一足が速いやつ」になるまで、ってなお話でした。
頂点の座についたのはめちゃくちゃ短かったですが、こうして足が遅いことで有名だった少年は、晴れて「足が速いやつ」として有名になれたわけですね。
足の怪我が治ったあとも、特訓の効果があったのか運動能力は高いままでした。持久走大会でも学年で一桁に食い込むほどでしたし。
なにはともあれ、「努力は必ず実を結ぶ」ってことを身を持って知った瞬間でしたね。
\( 'ω')/ウオオオオオオアアアアーーーーッッッ!!!!