電車に座っているとやはり思ってしまうのです。『自分の隣の席はいつも空いているなぁ』と。
どちらか片方が埋まっていることは多いのですが、基本的には左右どちらかが空席のまま。
人を近付けさせない特殊なオーラか、『もしや僕はとんでもない悪臭の持ち主なのでは?』と心配になってしまいます。
これってあるあるですよね?
気持ちがわからない訳ではない
『ここ。ここ空いてますよ』と目の前に立っている人に心で訴えかけてみても、結局座らずにその人は直立不動の姿勢。
ですが、最近その気持ちがなんとなくわかる気がするんです。
つまり、「座りたくないときもたまにはある」ということ。
そもそも、隣にまったく知らない人が座っていること自体が嫌な人もいるでしょう。
僕は電車がとにかく嫌いな知り合いを二人ほど知っていますが、決まって「知らないやつに目の前に立たれるのが嫌」というのが大きい理由だそうです。
そのうちの一人はもう3年ほど電車には乗っていない、と。
「不便でしょう?」と聞いてみても、「知らないやつと一緒の空間にいるより、車で移動した方が全然いい」ということらしいです。
中にはこういう人もいるのですねぇ。
たしかに、目の前にいるのは"他人"
少し冷静に考えてみれば、前に立っている男の小さなバッグにゴツいサバイバルナイフが入っているかもしれないですし、隣の女性のポーチの中には切り取られた人間の指がとても几帳面に並べられている可能性だってゼロではないわけです。
以前それに似たような事件が記憶の片隅にありますが、たしかにその可能性は捨てきれないというのが事実。
しかし、だからといって電車を利用しないわけにもいきませんし、数時間もずっと立っているのも疲れてしまいます。
第一、そんなことをいちいち考えていたらオチオチ外だって歩けません。
目の前の席にあえて座らない"マイブーム"
だから、というわけではないのですが、目の前の席が空いたとしても僕は座りません。
隣で立っているサラリーマンに無言のまま席を譲ってしまうか、そこから人がいる目の前に移動してしまうのです。
それはなぜか。
ズバリ、マイブームだからです。
立っている方がなんとなく頭の中のごちゃごちゃがまとまりやすく感じるのです。
スマホばかりいじっていないで、たまには外をボーッと眺めているのも気持ちが良いものです。
隣の席が埋まるとき
僕の隣の席が珍しく埋まるときもあります。
ですが、大抵の場合はそのまま寝始めてしまうのです。
僕の身体から眠り薬の成分、"相手が必ず眠ってしまう"というキラー技「キノコの胞子」が出ているのではないか、と本気で思いつつあるほどに。
"肩を貸すという行為"はこれまでに何十回とやってきたので、そろそろ良いんじゃないかな、と。
最初のうちは、『あぁ、きっと疲れているんだな。このままにしておこう』と思っていました。
老若男女、本当にいろいろな人に肩を貸してきたわけです。
終点まで放っておき、着いたらポンと足を軽く叩き、何も言わずに立ち去る。
その人が果たしてそこが目的の駅だったのかは知りませんが。
ひどいときは、両肩に人がもたれかかってきたときです。
普通、電車は一方方向に進行しているわけですから、法則的には体はどちらかに傾くはず。
しかし、『そうなっていないということは、もしかしてわざとやっているんじゃないか?』とも思い始めてしまったわけです。
もしかすると両端の奴らはグルで、きっと反応を見て楽しんでやがるんだ、と。
この時点で抵抗の仕方を徐々に試し始めたのです。
『あっ、くるな』と思ったら肩をスッとどけて肩の骨に頭を当てさせるか、肩をちょっと突き上げて「あぶないですよ」という警告らしきものをするか。
足をトントンと叩く方法も試したのですが、「あ、すみません」と言われただけで5分後にはまた同じことになっていました。
その人が最寄りの駅で目覚めて「うはぁっ!?す、すままばせんでしたぁっ!?」と走って逃げていったのは失礼ながら面白かったですね。
どっちにしろ僕の心の狭さをひけらかしているようで気が引けるのですが、しょうがない。
残された手は
「迷惑なんですよ」と素早く右ジャブを打ち放つのもありだとは思うのですが、「じゃあオメェがどけよ」となってしまうかもしれないですし、逆ギレされてぶん殴られるかもしれないですし。
自ら空いている席に移動するのが一番安全で楽だとは思うんですけどね。
それだと何も面白くないわけで。ロマンがないわけで。
だから、今度からは無言でアッパー食らわしたろかなとも思い始めた次第です。
日本は、島国であるために、古い時代から国民が一丸となって協力し合うことが必要不可欠だったわけですね。
そう考えると、電車の中の出来事も日本男児たるもの「持ちつ持たれつ」の精神で行くべきなのかもしれませんね。
しかし、もしものためにアッパーカットの練習だけはしておこうと思います。