一生遊んで暮らす。そんな人生に憧れていた時もありました。
でも実際にやってみたら我慢できないほど飽きるし、驚くほどつまらなかった。
「遊び」の解釈は人によって違うと思いますが、ここでは"思いっきりアニメ観たり、ゲームしたり"みたいなニュアンスです。
地面に寝そべってポテチとコーラを横に構えながら、ほこりを被ったPS4を常時可動させつつ、スマホで延々とTwitterやってるような毎日のことです。ええ。
今年で26歳になっちゃう僕なんですが、もうかれこれ遊んで暮らす毎日が5年ほど続いてます。学生って肩書を捨てた時点から考えるともう8年ちょっとでしょうか。
最終学歴は専門学校卒で、卒業後も就職せずに自分のやりたいことやって遊んでました。バイト(仕事)すらやめてしまったときから考えると5年ぐらいかな、って感じですね。
ひとつ言えることは、「遊んで暮らす」は飽きるしつまらないです。これだけは断言できます。
仕事とか学校とかってクソつまらないよね
自分がやりたくてやってる仕事とか、行きたくて行ってる学校とかならまだ良いですけど、大抵はそうじゃない事が多い。
最初は望んで行っていたとしても、時間が経つにつれて『どうしてこうなった』と感じ始めちゃったり、どうしても面倒くさくなってしまう。
そもそも自分が本当に望んでいなかった結果・場所であったり、脳が刺激に慣れちゃったり、腐った社会の縮図のような人間関係に悩んだり。
そんなしょうもないことで一気に天国から地獄に突き落とされたりするわけです。ホント人間ってないものねだり。
面倒くさいと言いつつだらっと日常を過ごす幸せ
バイトであれ、学校であれ、仕事であれ、そりゃあ『めんどうくせぇ』と思う日だってありますよ。むしろほとんどがそうかもしれない。
寝ぼけ眼を擦りながら、しがみつくようにカーテンを開けて、窓から差し込む太陽に殺意を覚えながら、朝の暗いニュースに辟易する。
満員電車のことを思うと憂鬱な気分になり、会社のことを考えると胃のあたりがムカムカする。次の休みまであと5日もある。ゲロ吐きそう。
——と思ったら、辛いのは"行くまで"だけで、あとは『帰宅後は何をしようか』なんて考えながら定時までだらっと過ごす。そんな毎日。
良いこともあれば悪いこともあって、面倒だとは思いつつも、日常が目まぐるしく過ぎ去るのをただ傍観することしかできない。
でも学生時代を思い返してみれば、「『かったりぃな』と思いつつも過ごしていたあの日々は、実はとても幸せな毎日だったのではないか?」なんて気持ちにもなるわけで。
なんだかんだ幸せってやつはすぐそばにあるのかもしれない
「何を幸せと呼ぶか?」なんてのは人それぞれでして、変化が激しい毎日が幸せだと感じる人間もいれば、安定した生活を幸せだと感じる人間もいるわけです。
結局のところ、面倒くさいとは感じつつも、特に大きな問題もなく目の前を通り過ぎる日常が"本当に幸せな日々"なのかもしれませんよね。
とか言ってみたものの、やっぱり「決まった時間に決まった場所で決まった仕事をする」なんて毎日は僕には到底耐えられそうもありません。
遊んで暮らすはクソつまらないしすぐ飽きる
「遊んで暮らす」に異常なまでの憧れを持っていた学生時代。
好きな時間に起きて、朝からゲームをやって、飽きたらアニメ鑑賞。腹が減ったら飯を食って、好きなときに好きなことをする毎日。控えめに言っても『最高かよ』って思ってました。
——で、実際にやってみたんだ「遊んで暮らす日々」ってのを。毎日毎日アホみたいにゲームして、アニメ観て、トイレと飯以外はずっとPCの前にいたりして。寝る時間も起きる時間も決まってなくて。
もうね。発狂するかと思った。暇を持て余しすぎると、精神がぺらっぺらにすり減るのだよ。その薄さと言ったらもう、サガミオリジナルもびっくりでさぁ。
そのとき僕は、怠惰ってやつは極めようとしても極められない位置にあるのだと思ったよ。『怠惰ですら極められない僕は、なんて凡庸な人間なんだろう』って。
部屋に居ながらにして無限のコンテンツにアクセスできる現代
幸か不幸か、今の御時世、部屋から一歩も出ずとも膨大な量のコンテンツに触れることができるわけです。人類の叡智の結晶とも言うべき「いんたーねっつ」なんてシロモノのおかげで。
ゲームもアニメも、ちょっとエッなお姉さんも、買い物もニュースも。パソコンなり、スマホなりが一台あって、ネット環境さえあれいくらでも楽しめちゃうわけです。
現実とは違う仮面を被ることもできるし、世から嫌煙される性癖やら本性やら、そんなものも曝け出せちゃう。架空の思い出づくりに勤しんで、承認欲求を無理やり満たすこともできる。
何より、ネット世界にはリアルやテレビより格段におもしろいコンテンツで溢れているんですよね。
こう考えてみたら『一生の間、部屋から出ずに楽しめるかも!』なんて思いそうなものですが、少なくとも僕の場合はそうじゃなかったみたいです。
人間の一生は短すぎる
ネットだけに限らず、この世界には一生では到底網羅できないほどの量のコンテンツが溢れているわけです。
すべてのアニメを観ることも、映画を観ることも、本を読むことも。どれも成し遂げられる自信はまるでない。その前に確実に飽きる。
ゲームだってアニメだって、いつかは飽きる。人間、刺激に慣れるもの。最初は目新しいと思っていたものでも、いつの間にか"慣れちゃってる"ものなんですよね。
「遊んで暮らす」は自分にとって絶対的に必要な時間だった
間違いなく「遊んで暮らす」は飽きます。つまらないです。でも僕にとってこの時間は絶対的に必要な時間です。
飽きが来るタイミングは自分でもわかりません。3ヶ月なのか、半年なのか、1年なのか。はたまた5年なのか。
今のところ、いわゆる自堕落な生活をおおよそ3ヶ月ほど続ければ"飽きる"ことが判明してます。さて、飽きるとどうなるか。
飽きると外に出る
まぁ、当たり前なんですけど飽きると外に出ます。焦燥感か、罪悪感か、そういった得体の知れないものにまるで追い立てられるかのように、文字通り外に出る。
最初は近所の森や山、川だったものが、いつの間にか県堺を飛び越え、国境を飛び越えてたんですよ。
これは極端な例かもしれませんが、怠惰をある程度満喫すると脳が変化を求めずにはいられないわけです。
お金にも縛られたくないし、場所にもとらわれたくない。好きなときに好きなことをして、好きなように生きたい。そんな願いが根本にあるんでしょうね。
それを自由と呼ぶとしたら、部屋でぼーっと無限のコンテンツを消費するだけの時間は自由じゃなかったみたいです。
一生遊んで暮らすために必要なお金
一生遊んで暮らすために必要なお金は1億5,000万円とか2億とかって言われてますよね。まー、26歳の若造がそれだけのお金を持っているわけはありません。
住むところは一応は実家っていう城がありますけど、感覚的には寝泊まりできるオアシスのひとつって感じです。
半年ぐらい日本各地の空き地にテント張って生活してましたし、1年ぐらいフィリピンでのほほんと暮らしてたこともあります。
毎月数万円の稼ぎさえあれば死なない、ってのが僕の人生にとっての最低ラインになっちゃってるので「一生遊んで暮らすために必要なお金」ってのは平均よりもずっと低いと思いますね。
どっちにしてもお金は必要
何にせよお金は必要です。収入源を断って「遊んで暮らす」を実行すると、いつか必ず『あ、ヤバい』って瞬間が来ます。必ずです。
「このままだと腐った人間になってしまう」とか、「このままじゃ結婚できねー」とか、「欲しいゲーム買えねーじゃん!」とか。
何を思うのかはさっぱりわかりませんが、とにかくヤバいって思う瞬間が来ます。
いくら綺麗事を言ったとしても、生きていくためにはある程度のお金が必要になってきます。
つまりですね、金がないのに遊んで暮らすをやろうとすると金を稼ごうと動き始める、ってことです。
なんか矛盾してるような、してないような感じですが、僕の場合はまず「金稼ごう」って思ったことが大きいです。
金がないのに遊んで暮らすをやってみた結果
稼いでから遊んで暮らすをやるんじゃなくて、遊んで暮らすをやってから「遊んで暮らすためのお金」を稼ごうとしたわけです。
結果的に"遊んで暮らしてたときにやってたこと"がお金を生み出してくれるようになってたんですよね。
暇すぎて始めた趣味が収入源になってたり、海外に住んでるときに暇すぎて始めた事業が育ってくれるようになったり。まぁその他もいろいろと。
運がいいだけなのかもしれませんが、ホント好きなことやってただけです。言うなればムリして「遊んで暮らす」をしてたら、いつの間にか本当に遊んで暮らすが実現してた、みたいな感じ。
まとめ
何が言いたいかって言うと、結局「遊んで暮らす」をやってみないと自分にその生活が合ってるのかもわからないってことです。何にしてもそうですが。
とりあえず。自分では根っからのインドア派だと思ってた僕が、いざ自由な生活を手にしてみたら急にアウトドア派になったのは驚いた。自己評価ってのは案外いいかげんなもんです。
ここだけの話、次は船でどっか回ろうかと思ってます。なんだ、無性にサーターアンダギーたべてぇな
桜散りすぎ案件 pic.twitter.com/Tsolgin4J2
— あめのは (@ameyohure) 2019年4月16日
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引きこもりになってしまったきっかけはアニメとゲームかもしれないから未来がヤバい