「フリースタイル」というブログの書き方について考えてみた

スポンサーリンク



単純そうに見えて意外と奥が深い「ブログ」

何気ない日常のことから、時事的な事柄、政治に対する意見、はたまた人生相談の場所にもなりうる場所。データベースのようにブログを活用している方も。
中には「プロブロガー」と自らを名乗り、ブログ関連の収益のみで生活をしている人もいます。

このように、ブログが持つポテンシャルはもはや底知れないものとなっています。
マネタイズするもよし、宣伝ツールとして使うのもよし、自己表現の場に使うのもよし。
「ブログ」を絡めた展開をしていくことによって、様々な事柄がより良い方向へとパワーアップしていくのです。

さて、そんなブログですが、「人によって書き方が全く違う」のです。
当然といえば当然ですが、文章の書き方によって、記事の見え方やブログの見え方がまるっきり変わってくるのです。

私はこれを「ブログスタイル」と呼んでいます。

私がもっとも得意とする「フリースタイル」のデメリット

元々、私が得意とするブログの形態は「”よくわからないこと”をただつらつらと書いていくスタイル」です。いわば、フリースタイル。

ただ、“最後まで読んでもらえない”という非常に致命的なデメリットがあるのです。

「自分の伝えたいことはこれ!」としっかり決めることができ、それ以外の余分なところはザッパザッパと削ぎ落としていく。こういったことを平然とやってのける人たちが、本当にブログが上手い人なのだと思いますね。尊敬します。

「あーでもないこーでもない」、「話題が逸れてはまた波打ち返す」のように、話の内容がコロコロと変わる文章は結局何を伝えたいか不明瞭になってしまいます。多くの人は文章を読んでいる途中で興が削がれてしまうでしょう。

どうにかこうにか小ネタを挟みつつ文章を最後まで読んでもらおうとするのですが、それが行き過ぎてしまい、結果的に文章全体にまとまりがなくなってしまうのです。
それすらをどうにかしようと、終盤あたりで渾身のオチを付けるのですが、おそらく大抵の人がそこまで読んでくれていません。

「一番最初にドーンと書く」。これぞ”サスペンスドラマスタイル”

ゆえに、自分の伝えたいことは「一番最初にドーンと書く」
サスペンスドラマスタイル。最初に人が死ねばあとはどうとでもなる、という不謹慎ながらも確立された歴史あるスタイルです。

そして、私の癖に「ブログの内容は書きながら考える」というものがあります。

このような「考えながら書くスタイル」だと、どうしても文章に一貫性が出づらくなってしまいます。
ある程度テーマを考えた上で、それに沿った見出し、自分の意見をさらりとまとめて文章に起こした方が説得力も出てくるでしょう。

即興が好きなだけ

ただ、こうして頭に浮かんでくる言葉をひたすら書きつつ、どうにか筋の通った、まとまりのある文章っぽく書いていくのも好きなのです。

つまりは、即興が好きなんです。

途中で情報を仕入れたりしない。
キーボードを打つ手は止めない。
執筆時間も気にしない。

バーっと書いて、あとで軽く見直して、さらにブラッシュアップを繰り返す。
これが、「フリースタイル」。

フリースタイルの良いところは、良い意味でも悪い意味でも「話の動きが独特」という点です。自分自身で読んでみても「え?そこなの?それでいいの?」と不思議に思うことが多々あります。

だが、そこが面白い。

犬のクソの話で始まった話がいつの間にか宇宙の話になっていても、オチはしっかりと犬に落とす。これが良い。この素っ頓狂な感覚がたまらない。

ですので、よほどのことがない限り一度書いた全体の文章の流れは変えません。
あくまで、誤字脱字、細かい表現、言葉選びなどを直していくのです。

あとは、”オチっぽいもの”を付けておしまい。タイトルもあとから考えます。

ほとんど偶然で出来たといってもいい文章の塊になんとなく名前をつける。
SEOとかは一切考えません。

面白いか、面白くないか。

ただ、それだけ。

非常にシンプルです。

意味がわからないからこそ、意味がわかりたくなるような文章を書く

意味がわからないからこそ、意味がわかりたくなるような文章を書かなきゃいけません。
最後まで意味のわからない文章は、ただの”意味のわからない文章”でしかありません。

そこに、「どんなことが言いたいのだろう?」、「つまり、どういうことだ?」と、読み手に考えさせることができるような文章を書かなくてはならないのです。

曲と同じで、サビを聴いて欲しいからAメロやBメロに力を入れるのです。
イントロに全身全霊をかけて細かいところまで作り込むのです。

イントロで曲を聴くのをやめてしまうかもしれませんし、Aメロで他の曲に移ってしまうかもしれません。

とてつもない隠し玉を持っていたとしても、その場面まで聞いてもらわなきゃいけない。
最後の最後に一番の武器を持ってきても、そこまで聴いてくれる人がいるかどうかが重要なのです。

だから、最初から全力。スタートから本気。

この国は「忙しいことに忙しい」ので、とにかく時間がありません。
時間がないせいで、情報の取捨選択の判断時間すらもどんどん短くなってきます。

つまらないものを最後まで見ることはないでしょう。
冒頭部分を見て自分に必要か不必要かを決める。タイトルを見て本を選ぶ。
目次で、見出しで、あとがきで、その本のだいたいの内容を推測する。

これは、誰しもがごく当たり前にやっている行動です。

その本の隅々まで見るなんてことはしません。
よほど好きな作家が書いた本とかなら別ですが、聞いたこともないような人が書いた本をそんなに熱心に見たりはしません。

隅々まで見るとすれば、「何かを感じさせる要素がある」か、「どこかで名前を聞いたことがある」か、「冒頭部分が予想以上に面白かったか」のいずれかだと考えられます。

このように、“物事の始まりはラストシーンに繋がっているようで繋がっていないもの”なのかもしれません。同じ本の中でも、”冒頭部分”と”過程”、”結果”は全くの別物なのかもしれません。

竜頭蛇尾でナンボなのではないでしょうか。

おそらく、「起承転結の起」でかなりインパクトのあるストレートパンチを放つことができれば、結はどうとでもなるのでしょう。
「すべては夢だったのだ……」という結末で終わりを迎える作品があるぐらいですから間違いはありません。

まとめ

普段はこのようなフリースタイルで書くことはないのですが、たまにはこういう書き方も悪くはないかな、と。

やはりフリースタイルで書いたブログは、清々しいぐらいにごちゃごちゃしていて素敵。
最近は、「思ったことをとりあえずバンバン書いて、数撃ちゃ当たるぐらいの勢い」でブログを書いてみても面白いのかな、とも思っています。

ただ、フリースタイルは当たり外れが激しいんですよねぇ……。

スポンサーリンク





この記事を書いた人

あめよふれ

あめのはっていいます。どうぞよろしく。

「”とり”あえずやっ”てみ”る。略して、とりてみ」がモットーの24歳。ノマドチャリダー。自転車で日本一周してます。アニメ聖地・心霊スポット・世界遺産巡り。趣味はアニメ鑑賞・ベース演奏・旅行・カメラなど。