6年間続けてきた「バンドマン」を辞める決心をしたことで見えてきたこと

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今年の夏、6年間続けてきた「バンドマン」を辞めます。

もともと、この話はいずれ書こうと思っていたのですが、「【就活失敗】40社受けて内定ゼロのぼくはフリーランスで生きていく」という記事を読んで少々感化されていまいました。

私には「受験経験」もなければ、「就職活動経験」もありません。
常に自分のやりたいことを優先していった結果、今の私がいるのです。

人生、どうなるかは全く分かりません。

色々とまとまっていないですが、さらっと今の心境を書き綴っていきたいと思います。

デザイン系の専門学校へ行くことに決めた高校3年生の秋

高校1年生の頃に初めてバンドというものを始め、そこからずっとバンド一本で生きてきました。
途中、気晴らしにバレーボールやブレイクダンス、ルービックキューブなど、色々なことに手を出してきましたが、やはり軸にあるものは「バンド」でした。

そして、高校卒業を間近に控えた高校3年生の秋。

「これからはバンドも自分たちで食っていく時代だ。よし、物販作ろう」。

この頃、頭がパンパラピーだった私はこんな安易な考えで進路を決めてしまったのです。
「バンドマンだからロック(=いい加減)じゃなきゃダメ」という考えが死ぬほど嫌いだった私は、勉強もそこそこ、生活態度もそこそこでした。
そのおかげもあってか、専門学校への入学は推薦を頂くことができたわけです。

周りが受験勉強をしている間、私はバンドに専念することができました。

「バンドマン」って呼ばれたくなかった理由はバンドマンが嫌いだったから

これは余談ですが、私はバンドマンが嫌いでした。
約束は守らないし、借りた金は返さない。女はすぐに取っ替え引っ替えするし、酒癖もとことん悪い。
おまけに優先席に陣取って、土足のまま座席に乗っけるし、身なりも派手で威圧的だし、道も譲らない。なのに、言うことだけは一丁前で……。

……っと、ただの悪口になってしまいました。失礼。
正直、この考えは今も少しあります。見た目が派手だからこそ、マナーが悪いことが余計に目立ってしまうというのはありますが。

しかし、自分自身がバンドマンとなり、その世界へ首を突っ込んでみるとそういう人たちばかりではないのです。
身体中に刺青が入っていても、見た目がどんなに怖くても、髪の色がスーパーサイヤ人4でも、話してみると意外と純粋な人が多いのです。

とはいえ、バンド、音楽界隈には人間的にアウトな人も多いことは確か。見極めが大事です。
たまにですが、ライブハウスで”クスリ”っぽい匂い(なんとなくそんな感じ)とかもしますし。
私がやっているジャンルが激しめのロックとかパンク寄りだったせいもあるかもしれませんが。

専門学校入学後の生活とバンド

「自分の金で学校に行く。卒業したら就職するから」と親を説得し、なんとか専門学校への入学を認めてもらいました。

いざ学校に通い始め、友達も幾人かできたのですが、年齢も学歴もバラバラ。
こんなに刺激のある生活を送れるとは思ってもみませんでした。

専門学校時代は人生一酒を飲んだ時期であり、人生一悩んだ時期だったかもしれません。

周りが「就職活動」を意識し始めだした頃、私は相も変わらず「バンド」のみに専念していました。
「バンドで食っていく」ことが目的であり、目標だったのです。

もちろん、在学中に何らかのアクションがなければそのまま「就職」をするつもりでした。
逃げ道を作っておくのは大事です。保険があるからこそ全力で目の前の壁に突っ込んで行けるのだと私は考えています。

親と約束した「就職」の道も、在学中に何らかのアクションを起こすことができ、「バンドで食べていけるんだ」という可能性を少しでも感じてもらえたら回避できると考えていたのです。

良い意味でも悪い意味でも人生を狂わされた分岐点

そして、在学中。

某大会で見事グランプリを受賞。

これがキッカケとなり、様々な企業関係者や音楽関係者、有名なレーベル、メジャーバンドなどとの接点を持つことができたのです。
ラジオ出演に、テレビ出演。何百人、何千人(と言っても3000人ほど)という人が入るようなライブハウスでライブをしたり、それでお金を貰ったことも何度かありました。

「あれ?これ本当にバンドだけで飯食っていけるんじゃ?」

そう思っていた時期もありました。
メジャーのお話などもちらほら出ていたようですが、今一歩及ばずというところ。

そして現在も私はフリーターです。

バンドマン兼「何でも屋」として活動

専門学校時代の技術を生かして、私は色々なことをやりました。

フライヤーを作ったり、ホームページを作ってSNSなども更新したり、オリジナルTシャツやステッカーなどの物販を作ったり、はたまたCDのジャケットを作ったり。
バンドのスケジュール管理、ライブ出演の窓口、メディア関連の窓口、音楽関係者との窓口、資金管理もほとんど私。作詞作曲以外はほとんど私の管轄でした。

それはそれで非常に刺激的な日々で、様々な技術を会得するキッカケともなりました。なかなかに大変でしたが。

バンドマンだって根本的には会社員と変わらない

これだけバンドを続けてきて、幸運にも音楽業界という大きい世界も少しは覗けたわけです。
そこで見えてくるものはやっぱり「バンドはただの商品」だということ。

頭では理解していたつもりですが、実際に目にしてみるとまた違う印象がありました。

インディーズにしろ、メジャーにしろ、どこかの事務所やレーベルに所属するということは「会社員」になるということ。
その企業で働く人や、その人たちの家族のためにお金を稼がなきゃならない。

いくらバンドマンが自由だからって、なんでもしていいってわけじゃない。
フリーだから、バンドマンだから、漫画家だからって必ずしも自由なわけじゃない。

それでも「やりたいことをやるために、やりたくないこともやる」んです。

それが「やりたいことをやる」ってことなのではないでしょうか。

やりたいことだった「バンドマン」を辞める理由

理由は簡単。“やりたいことではなくなってしまった”からです。
色々な世界を見たことでバンドをやることに魅力を感じなくなったというのも一つの理由かもしれません。

“バンドはこの時期まで、と決めていたこと”、そして、“他にやりたいことができた”という理由もあります。

もともと、1年前に「この時期までにある程度の収益を出せていなかったら辞める」と決めていました。
1年はあっという間です。これだけ自分を追い込んだにもかかわらず、バンドを中心に考えることができていなかったということは、つまり”バンド自体に情熱を感じなくなっていた”ということなのかもしれませんね。

そして、”他にやりたいことができた”というのは、「自転車で日本を一周する」ということです。
「いやいや、何いうてんねんボケ」と言われてしまいそうですが、私の昔からの夢だったのです。

夢だった、という言い方は少し変ですが、「夢だったけれど見ないフリをしていた」という言い方をした方が正しいかもしれませんね。

もし、これから就職したとして、バンドで食べていけたとして、この夢を叶えられる時がいつになるか分かりません。
一番体力があり、一番価値観が広がる可能性のある20代のうちにどうしてもこの夢を叶えたかったのです。

おそらく、この先の努力次第でバンドで食べていくことは可能でしょう。
今はネットもありますし、ある程度のコネもあります。ボーカルに恵まれなかったわけでもありません。

ただ、「バンドで食べていくこと」をありありと想像してみても嬉しくなかったのです。

そこで直感的に感じたんですよね。

「あぁ、バンドって私のやりたいことじゃないんだ」と。
6年間必死でやってきて今更かよ、という気持ちもなくはないですが、後悔はありません。

これまでやってきたことは1mmも無駄になっていません。
こうしてブログという別の世界で昇華できているだけでも私にとっては十分な価値です。

言葉で言い表すにはまるで足りないほどたくさんのものを得てきた時間でした。
そして、これからも私は「自分のやりたいこと」を何よりも優先していくことでしょう。

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