外が雨なので、たまには「文字を書くということ」について考えてみた

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僕は今まで、「言葉は減っていくもの」だと思っておりました。つまり、言葉は有限である、と。

言葉は、出したら出した分だけ頭の中から消えてなくなり、やがて空っぽになってしまうと考えていたんですね。
アイデアや考えなども、口に出したその場で役目を終えてしまうものだと、そう思い込んでいました。
しかし、ブログを続けているとその認識が間違いだったことに気付かされます。

今回は、「ブログ」というもの、「文字を書くという行為」について僕なりに考えてみました。何せ、外は雨が降っていますのでね。

ちゃんとした「ブログ」って?

ブログは僕の居場所の一つだったのかもしれない

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僕はもともとアメブロでブログを書いておりました。ただ、なんとなく。
気が付いたら文字を書いていて、いつの間にかブログというものが自分の近くにありました。

自分の考えを、自分の世界を、自分の全てを表現できる場所。それが僕にとって”ブログ”でした。

内容はただの日記から、真面目な話まで。はたまたネタのような記事までありました。
文字の大きさを変えることもなければ、色も変えない。太字にすることもなければ、アンダーラインだって引かない。
あるのは延々と続く文字と改行だけ。今思えばかなり見にくい構成だったと思います。

ブログが珍しく長続きする

それでも楽しかったのでしょう。物事が続かない僕には珍しく、ブログを始めて4年近くが経っていました。
「面白いね」と言われることが本当に嬉しかったのです。

そんな中、僕は「ちゃんとしたブログを書きたい」という考えで半年前にこのブログを開設しました。

そもそも、ちゃんとしたブログって一体何なのでしょう?

伝えたいことがハッキリしているとか、わかりやすいとか、面白いとかでしょうか。その時の僕はここが漠然としていました。
ちゃんとしたブログを書く、と意気込んで今まで記事を書いてきましたが、このブログは果たして「ちゃんとしたブログ」なのでしょうか。

今のブログのあり方に疑問が湧く

自分の主張が少ない?

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この「略してとりてみ」というブログは、『“とり”あえず、やっ“てみ”る』がテーマです。
日々、あらゆることに挑戦していこう、と始めたブログです。

人生なんて挑戦の連続ですから、死ぬまでネタは尽きません。このブログを書いていることは非常に楽しいです。

しかし、以前書いていたブログよりも自分の主張が極端に少ないような気がしてならないのです。
つまり、ワールドですね。その人自身の考え、世界観のようなもの。これがこのブログには限りなく少ない。

この「書いている人の世界観が見えない」ということを、以前までの僕は「ちゃんとしているブログ」だと思い込んでいたのではないでしょうか。

言うなれば今回のような記事です。個人の主張、考え、が前面に出ている文章。
一方、僕がこれまで書いてきた記事は「ただのまとめ」のようなものに、自分の感想をちらっと載せているだけの文章。

決して、それが悪いというわけではありません。面白くて書いているわけですからね。
最近はこのような考えが出てきて、「もう少し”個”が出てきてもいいのでは?」と思い始めるようになりました。

アメブロ時代のブログスタイル

今よりもゆる〜く、気楽に書いていた

ワールド全開でした。僕はどうしてか、僕生活で不思議な人に出会うことが多いようです。
この特性を生かして、主に”変な人”や”変な現象”の話題が多かったですね。あとは僕の考えていることとか。

晩飯のことを考えながら、世界情勢について考えていたり、晩飯のことを考えながら、晩飯のことを考えていたりしていました。つまり、ほぼ晩飯のことを考えていました。

というのは言い過ぎですが、以下の記事のような内容のものが大半を占めていました。以前の僕のブログから新たにリニューアルした記事です。

関連:【爪】右手の人差し指と中指の2本だけ、爪の伸びるスピードが早い原因を考えてみた

これはかなり手を加えたものですので、以前の記事とは比べ物にならないくらい雑に仕上がっています。

逆に言えば、クオリティが低いままブログを公開していました。まるで息をするかのように、ただただ暇を潰すかのようにブログを書いていました。

現在はかなり肩に力が入っているのかも

背伸びをして書いていた

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「ちゃんとしたブログを書こう」、そう思って始めたこの『とりてみ、でいこうか。」というブログ。

自分で納得できるクオリティを持っていて、かつ、誰しもが面白いと思う記事。それでいて、未来の自分が見ても恥ずかしくないような記事。

そんな記事を書きたくて、これまで必死にブログの更新をしてきました。背伸びをして書いている状態だったんですね。

「僕は今ちゃんとした記事を書いているぞ」という自信、というよりかは満足感なのでしょうか。その気持ちが優先していたように思います。

確かに、これも楽しいです。自分で制限をつけ、ハードルを設け、それをクリアしていく。成長の段階がハッキリと分かりやすく見えるので、楽しいことは楽しいです。

“今”求めるべきことではないことを求めていた

「『未来の自分が見ても恥ずかしくないような記事』を今書くことは非常に難しい」と思うんです。と同時に、誰しもが「面白いね!」と思えるような記事だって書けるわけがないんですよ。

音楽だって、絵だって、なんだってそうだと思います。万人に受けるようなものが本当に面白いと言えるでしょうか。

カップラーメンが世界一売れているからと言って、「カップラーメンが世界一美味い食べ物」だと言えるでしょうか。

答えはNOでしょう。つまり、現段階で未来の自分が恥ずかしくならない文章を書くことは不可NOということです。

なるべく未来の自分が顔真っ赤にならないような努力はしていますし、今の実力をフルに使って文章を書いているつもりです。

それでも、やっぱり過去の記事を見ると顔真っ赤っかになります。

もっと自分を解放してあげる

僕は”猫をかぶる”という行為を無意識に行ってしまうクセがあります。これには猫が好きなことも関係しているのかもしれませんね。そんなわけはありませんが。

「カッコつけたがり、背伸びしすぎ、猫かぶりすぎ」というのが20数年生きてきた中で導き出した自己診断結果です。

なので、「気を楽にしていいぜ」と自分に分かりやすく許可を出してあげないとダメなんです。自分で勝手には気を緩めてくれないのです。

そのスイッチ切り替えとして役に立ってきたのがまさに「ブログ」というわけですね。

まとめ

今のブログスタイルには”個”の主張が少ない気がします。背伸びをして、自分の実力に見合っていない文章の書き方をしていたせいで”個”の存在が薄くなってしまったのかもしれません。

ということで、これからはもう少し自分の羽を伸ばして、もっと気楽に、マイワールドを解放していこうと思います。

最近ようやく気が付きましたが、どうやら僕はブログが好きみたいです。

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この記事を書いた人

あめよふれ

あめのはっていいます。どうぞよろしく。

「”とり”あえずやっ”てみ”る。略して、とりてみ」がモットーの24歳。ノマドチャリダー。自転車で日本一周してます。アニメ聖地・心霊スポット・世界遺産巡り。趣味はアニメ鑑賞・ベース演奏・旅行・カメラなど。